アクエリのほほんブログGX

アクエリのほほんブログが進化しました(笑) 超絶不定期更新

トライデント

眠れない夜(といってももはや早朝ですが)にふとここの存在を思い出して、また読み返してしまいました、アクエリです。

今回のネタは現在進行形で未定ですが……内容がどうであれ、この記事が公開されたということは2020年も無事5回の更新ができたということになります。

本当に今さらなんですが、マジで誰がここ覗いてるんですかね……

一応更新の度に告知ツイート?はしてるので、やっぱりフォロワーさん???

何が目的で読んでくれているのか、普通に興味があります。

は?こいつこんな考え方してんの?きっしょw

なのか

ふーん、こういう考え方もあるんかぁ……

なのか

アクエリマジLove♡供給助かる

なのか……()

こちらは完全完璧自己満足でお送りしているので、そちらも自己満足でみていただけると幸いです(???)

 

さて、そろそろハロウィンとともに10月も終わり、いよいよ11月に突入ですか。

いやー、近づいてきましたね、学生の終わりが。

働きたくない気持ちは前回、前々回と変わりません!

でもまぁさすがに新卒を捨て4月からニートという訳にもいかず、てきと〜な会社でてきと〜に勤めることは決まりました。

いやしかし、大学生がいかに恵まれてるか最近は身にしみる思いです。

好きな時に起きて授業を受けてバイトして好きな時に寝る。

やっぱり時間、一番は自由な時間ですよ。

ただ、その自由な時間がありすぎるがために、悩める青年をたくさん生んでしまうんだと思います。このように(自虐)

人間、適度に忙しく適度に暇に。

月並みですが、こういう生き方が良いんだろうな〜と思います。

 

冒頭、読み返したと書きましたが。

「読み返しで得たいのは、書いた当時には思わなかった、未来からの意見なのです。」

どこかの記事からの引用です。

ここだけみると、現文の教科書とかに載ってそうだなって思いません?(自画自賛

何かを書くということ、それ自体がわりと好きなんですよね、自分。

というか、正直にはっきり言いますが、どれだけ知的ぶった文が書けるか。

ここを楽しんでいる気がします。

もしこのブログを読んでいて、はへ〜こいつかしこいな〜物知りだな〜と一度でも思ったことがあれば、それはもう術中です。

難しそうな言い回しや用語は基本wiki情報と思っていいくらい。

参照するより前からその語彙とぼんやりした意味が頭にあることは否定しませんが、正しく適切な場面で使えないと意味がないですからね。

ここの更新はいろんな意味で、自分との戦いになるんです。

なるほど、どうりでいつも書き上げるのに時間がかかるわけだ。

 

今回はちょっと中身のない薄い記事になりましたね……

ま、いつも中身があるのか聞かれたら微妙なところなんですけども。

そして実はもう1つ、読み返していて思ったことがありました。

でもそれは次の更新までに取っておくことにします、なんとなく。

普通に忘れていたらごめんなさい!

パノプティコン

前々回の記事(4月)によると、年に5,6回の更新ペースを維持したいそうなので、また短いスパンになりますが記事を書こうと思います。

というのも、前回はかな〜り適当に投げて終わらせてしまったところがあるので、もう少し何かつけたすことができないかなぁと思った次第です。

以前どこかの記事で(便利ワード)自分自身を整理するためにここを利用すると書きましたが。

モヤモヤっとした漠然とした"何か"を言葉に変換できた側から書き込んでいき、その時抱えていた問題にある程度の結論を見出だそうとするのがいつもの書き方です。

ただ前回は「働きたくねぇ〜〜!!」という結論が前提にありすぎたために微妙な感じになったんだと思います。

帰納法演繹法かの違いになるんですかね、これ。知らんけど。

ただまぁ、今回はレベルの低い結論ありきには違いないので、もう少しラフに考えてみます。

 

いつからが大人なのか。

決まった年齢にあてはめるのは人によるので無理だと分かりきってます。

普通に考えて、経済的に自立し得るかどうかじゃないかと。

中卒だろうと大卒だろうと、自分で働いて稼いだお金で生活ができれば立派な大人なんじゃないでしょうか?

高校生や大学生はいくら精神的に大人になったとしても、親の庇護下で生活するのがほとんどだと思います。

(一生懸命バイトして学費に充てたりする方がいることももちろん承知していますが、申し訳ないけど例外にさせてください)

だから大学に入った時点で22までは実質子どもでいざるをえないわけで…

この辺りをモラトリアム人間だとか青年期の延長だとかを絡めて話を進めたかった気がします。

それと口座開設は15歳からできるようです。18からサイレント修正。

中卒で働く人が口座持てないのもおかしな話なので、ちょっと考えれば当たり前な話でした。

 

以前どこかの(ry

大学は自由な場所ですよね。

好きな授業を取って自由に時間割を組める。

部活やサークルも好きにやればいいし、やらなくてももちろんいい。

空いた時間はバイトするもよし、好きなことに没頭するもよし。

ぼーーっとスマホを眺めて1日潰しても何の問題もない。

こんな生活を4年も続けたら、堕落?するのに十分すぎるんですよね……

もちろん全ての大学生がそうとは限りません。真面目な人もたくさんいます。

でもそういう人達も"真面目"にあてる時間がたくさんあるのは変わらないわけで。

こんな環境にいたら社会に出たくなくなるのも当然だよなァ!?はい結論まで到達しました!

凪咲さんの質問に答えます!

ぼくはいつまででも子どもでいたいな……

 

就活で企業説明会とかに参加するとき、なんとなーく毎度質問していることがあります。

「何でこの会社に入ったのか」

いろいろと思うところはありますが、本当にわりかし、なんとなーく。

それで、担当の方は「〜に魅力を感じて」とか「社風が〜」とか、まぁさっきも聞いたような会社の強みを教えてくれます。

ただこういう人も一定数いるんですよ、マジで。

「付き合ってた人と落ち着くために地元で」みたいな。

すっげぇ負け犬のような気分になります、、

照れみたいなのも一切なく、はっきり言うんですよね、あの人達。

……大人だなぁ

 

ヨルシカは「言って。」「君に晴れ」「準透明少年」辺りが好きです。

洞窟の比喩

この時期にはコロナくんも収まってるもんだと思ってました。甘かった。

まさかこんな暑い時期になってもマスクして、外出自粛を求められるとは……

前回の記事を書いた時ほどの緊張感こそ薄れてきましたが、全国で感染者は増える一方。

夏休み期間も自粛を求めるようですねぇ…

しかしスマブラの桜井さんも言ってましたが、こんなときはゲームでもしましょうよ、ゲーム。

今回の記事は「ぼくのなつやすみ2」のワンシーンから着想を得て書こうとしています。

 

ぼくのなつやすみ2とは?

母親が臨月を迎えたため、民宿を営むおじさんの家に夏休みの1ヶ月間預けられることになった9歳の主人公。

富海という田舎町で過ごす8月。

海で泳いだり虫を捕まえたり。

大きな魚を釣って捌いてもらったり。

富海の住民や民宿を訪れるお客さんの話に耳を傾けたり。

少年時代の夏休みの全てが詰まった素敵なゲームです。

 

さて、今回取り上げるのは小さな診療所に勤めるナースの凪咲さんとの会話シーン。

凪咲さんはある事情について主人公に聞かれ、説明を躊躇い「大人の世界ってちょっとだけ複雑なの」と誤魔化します。

その後、主人公は「お姉さんの歳だともう大人なの?何歳から大人なの?」と問いますが。

「じゃあ、ボクくんは何歳まで子供でいたい?」と逆に聞かれて主人公は困ってしまいます。

こういったなんてことない会話がたくさんゲームに散りばめられていて、一考の余地があると思わせるんです。

ではどうしてこの会話をピックアップしたのか。したくなったのか。

それは心のどこかにある不安感がそうさせたんだと思います。

ようやく本題に入れそうです。

 

何歳から大人なのか。

真面目に考えてみることにします。

自分が幼い頃は20歳からというイメージをもっていました。

20になればお酒も飲めるしタバコも吸える。成人式もある。

今となってはいずれも特別利点とは思いませんが、ぼんやりと、大人は20から。わりと共感はしてもらえると思います。

ただ実際は違うというか……成人式なんて本当に形だけの通過儀礼、イニシエーションでしたしね。

高校生くらいからこの認識は変わってきます。

20といっても大学生からしたらまだ2年生ですから、卒業して、社会に出る22,23歳からが大人なのかなと。

とはいえ、この"社会に出る"という言葉もまた難しいんですよね。

高卒で働く人からしたら18,19だし、中卒なら15,16になるじゃないですか。

アルバイトなんかもよく社会経験と言いますし、接客業なんてもろ社会に出てる気がしまして。

他にも、免許や選挙は18から。えっちなコンテンツも18から。でも女性は16から結婚できる。口座開設は15から。

とまぁ、いろいろ挙げてきましたが、年齢による線引きはかなり難しい。

人による、と言ってしまえばそこまでですが、強いていうなら18からが大人なのかなぁと思います。

 

えー、以上が7月中旬頃に書いた下書きとなります。前にもみたなこのパターン。

うまいことここから繋げられなくて投げました。うん、かなり記憶に新しいです。

結局ここで話題にしたかったのは"何歳からが大人なのか"とかいう話ではなく、"大学はモラトリアム期間"という話。

はぁ〜〜〜ん、社会に出たくねぇ〜〜!!働きたくないでござる!!!

これにつきる。

なんとかかっこつけて書けねぇかな〜と思ったんですけどね、無理でしたね……

できることならずっと学生のままでいたいなという戯れ言です…

かっこつけて書くために引用しようとしたフレーズを投げておきますので、暇すぎて死にそうな方は調べてみてください。

そしてアクエリの代わりにかっこつけて書いてみてください笑

将来的に、どれかはまた次回以降の記事で扱うかもしれません。

・ハヴィガーストによる、人間(青年期)の発達課題

小此木啓吾による、モラトリアム人間

・青年期の延長

ピーターパン症候群

・ショーベンハウアーによる、ヤマアラシのジレンマ

 

最後にひとつ、記事を紹介して終わります。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c664bd46ee3fd5105c130b40a0028822ed4ad0e2

今流行りのヨルシカ、ずとまよ、YOASOBIがなぜ若者を惹き付けるのか、という記事です。

「だから僕は音楽を辞めた」「ただ君に晴れ」はまさにこの記事で書きたかった大人であること、また、大人でないこと。そして将来への不安感のようなものが歌詞に現れます。

「脳裏上のクラッカー」でも不安定な自分を繋ぎ止めてよと歌われます。

さらに「夜に駆ける」では、日常に疲れた"僕"を"君"が終わりへと誘うわけですが。

この3グループの共通点を探ろうとするこの記事はなかなか興味深いものでした。

 

どうにも半端な出来になってしまいましたが今回の更新はここまで。

くれぐれも体調にはお気をつけくださいな。

マージナルマン

このブログ、とんでもないことに中学生の頃からやってるんです。

当時からここを覗いている(覗いたことがある)人とまだ関わりがあることもとんでもないぞ、と書いておきます。

垢を変えたり消したりで縁が切れた人もいますが、いったい何年の仲にこれからなるんでしょうかね、本当に。

このブログは中学→高校→大学の流れのなかで二度更新が大きく止まるんですが、環境が変わるとまた更新されていきます。

自分で言うのもなんですが、やはり歳を取る度に大人びた文と思考をするようになったな、と思います笑

大学に入った2017年からは年に5〜6回のペースになりました。

ただ2020年は前回の時点で1回目!ここまできたら今年はあと4回は更新したいところですが……自信無いです。

なので!今回は珍しくあまり日を空けずに頑張って更新してみます。

 

以前どこかの記事で書いたのですが(便利ワード)、自分が書いた記事を見返すの、結構好きなんです。

アルバムの写真をみる感覚とでも言えば分かりやすいでしょうか。

ああ、このときはこういうことがあったからこんな気持ちだったなぁ……と感傷に浸るわけです。

正直書くことがないこともあり、直近の記事の振り返りでもしましょうか。

「疾風」という記事で同じことをしているので、それ以降の記事を対象にします。

 

「雨が降ったら」

自分は人見知りとはいうけれど、その実ただ内面を知られたくないだけ、という話でした。

社会で生きていくうえで、面を使い分けることなど普通のことであり、本当の自分を知る人は少なくて当然だと最後に考えています。

面…キャラと言い換えてもいいと思います。

対初対面のキャラ、対友達のキャラ、対目上のキャラ……猫を被るともいいますが、やっぱり多くの人が普通にやることですよね。

ただ…どれが本当の自分なのか分からなくなるのはまずい。

そんな状況をアイデンティティ拡散とエリクソンというおじさんが定義づけています。

興味のある方は調べてみても良いと思います。

 

「ブリキの人形」

心がざわつくときは人間関係に問題があるときであり、心の整理のためにこのブログを使うことがある、と。

不思議なもので、ここで重荷となっていた問題は今となってはすごくどうでもいいものになりました。

なんというか…やっぱり、自分の好きなものには変わってほしくないと今でも思います。

それが悪い方向ならなおさら。

この良い、悪いも結局は自分のなかの基準ではありますが……自分に合わないものは合わない。割りきりました。

人間の好き、嫌い、といった感情はすごく激しく大きい一方、移ろいやすいものですねぇ……

 

「石橋をたたいて」

"自己評価が低い自分"を無理に変える必要は無い、いや今さら変わらないと考えています。

自分の負の面を認めて、嫌いじゃないと思えるようになりたいと綴って記事は終わります。

石橋はたたかなくてもいいし、渡らなくてもいい。

このタイトルはそういう気持ちでつけました。

珍しくプラス思考というか、この記事からは少しの希望すらみえてきます。

コペルニクス的転回、はさすがに言い過ぎですが、随分納得のいく結論が出せています。

 

「精神的に向上心のない者は」

馬鹿の話をしています。

この記事があったからこそ、上記の結論に至ったと考えます。

自分は自分が嫌いだけれど、そんな自分に付き合ってくれる人まで否定しちゃあダメだ、と。

素晴らしい友人と関わり続ける以上、その友人にも大事にされたい。

そのためには確立した自己を持つ人間であらねばならない。

アクエリズム(??)が極まり始めた良い記事だと思います。

 

「優しくなりたい」

他人の幸せで十分だと考えていた自分が、本当にそれでいいのかと疑問を抱き始めました。

自分もできることなら幸せを追究したいと書かれています。

この記事、今にして思えば「ブリキの人形」の出来事が始まった頃に書かれているので、まぁ……そういうことなんだと思います。

理由はよく分からない、とありますがそんなこと無かったです。

当時はまだ自分自身の気持ちが揺れていて、そんなわけないだろ!という抵抗心から間違いなくきています。

あまりにも、気づくのが遅かった。もっと早くに行動していれば、何か変わっていたんでしょうか。

この手の話のたらればほど虚しいものはありません。

 

「Del」

ざっくり、楽しくなかったはずの中学時代は実は案外楽しかったのにも関わらず忘れていたという話です。

中学のときに友達なんていなかった、と思っていましたが…いたんですねぇ…

向こうも自分のことを覚えていてくれて、当時好きだった漫画の話だとか、高校の話だとか、いろんな話ができたんです。

それなのに、会うまでそんな人たちがいることを忘れていました。

記憶力には自信があっただけに、やはり意外というか、驚きでした。

でも結局、この日以来彼らとは会ってもないし連絡もしてません。

このまま、また埃を被っていくんでしょうか。

今いる友人の記憶もそのうち薄れていくんでしょうか。

それはちょっぴり…いや、かなり寂しいですねぇ……

 

…自分のこと、否定しすぎじゃない?

と、読み返してみてすごく思いました。

少しでもこう思えるようになったということは、"嫌いじゃない自分"に近づいているのだと信じたいです。

 

さて。

このブログ、アプリ版で遡れるのが2016年くらいまでなんです。

それより前の記事が残っていることは薄々分かってはいましたが、確認するのが怖くてできておらず、この機会に確認してみました。

……死ねって思ったのでほとんどをデータの海に沈めてきました。

甘かった。どうして早く確認しなかったのか。

まさか2011年に開設して、ほぼ毎日更新する月もあり、個人情報は放出するわ、クソみたいなアニメ感想を投下するわ、もう最悪でした。

でもまぁ…アクエリズムの片鱗を感じさせる記事はせめてもの情けで残しました。

ただ、二度と確認はしないので、これを読んだあなたも確認には向かわないでください(圧力)

振り返り記事はどうしても長くなりますね。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

それではまた、次回の更新で。

雨が降ったら

某ウイルスが巷を騒がせる昨今。

緊急事態宣言なんて物々しい言葉が飛び交い、外出は自粛要請。

いやー、なんというか、大変な時分ですね。

本来とっくに大学も始まってる頃なんですが、4月いっぱいはお休みに。

それでもお休みしていられないことがあります。

はい、就職活動、です、ね……

 

就職活動をするうえで重要なことっていくつかあるとは思います。

志望業界、志望職種、志望動機……などなど。

さて、ここまで読んだあなた!

このままこの記事が就活の話をすると思ったら大間違いです。誰のブログに来てるんですか?

ここから書いていくのは"自己分析"の話です。やったね!

 

履歴書やエントリーシートを書く際、志望動機はもちろん必須項目なんですが、自己PRという欄も埋める必要があります。

自分は〜という人間です!〜という経験をしたので〜です!よって御社で〜という活躍ができます!

これ、自己評価が低いことに定評のあるアクエリさん的にものすごくしんどい項目です。

アピールポイントが仮にあったとしても、具体的な経験が書けないとイマイチ弱い。

それでいて、企業に入って役立つ能力でなければならない。

ここで、捻りに捻って出した長所がコミュニケーション能力でした。

なんとか具体的なエピソードも交えられ、かつ社会で生きるうえで必要なスキルだと見込みました。

これを書いて、通るか通らないかはまた別の話です。

 

え、アクエリさんって、コミュニケーション能力が長所なの?

違います…ものすごく人見知りです……

ただ、これを言うとリアルの友達には否定されてしまいます。

確かに親しい人とはよく喋るし、一方、初対面の人でもほどほどには話せます。

でもそれは一言でいってしまえば、外面が良いだけなんですよね。

なるべく素の自分を出さないようにして、なるべく円滑に。

正直、円滑じゃないコミュニケーションなんてめんどくさいだけじゃないですか。

だからできるだけ自分を殺して、その場のノリに適当に合わせる。

関係性が深くない人に不用意に素を出して傷つけられる必要なんてないので、都合の良い面を被るわけですが。

これ、言うまでもなくしんどいです。

ただこういうところをみて友人は人見知りを否定するのだと思います。

けれど、自分を偽らずに自然体で誰かと話せる人こそが人見知りの反対に位置する人だと思うのです。

 

いろいろ考えて少し分かったことがあります。

自分にとってのストレスは素の自分が出せないこと。

しかしながら、素の自分が傷つけられる可能性を一番危惧している。

つまり、自分を否定されたくない、ただそれだけのことなんです。

この幼稚な基盤を隠す、体の良い言い訳が人見知りという言葉に繋がる、と。

ということは、やっぱり自分は人見知りではない!?

まぁ……"ただの"人見知りではないのかもしれません……

 

コミュニケーション能力が強みだとアピールしたうえで、どこかの企業に就職したとして。

企業はその能力に期待して、例えば営業を任せるとしましょう。

そうなると、外面の良い自分を仕事では常に演じる必要がでてきます。

本当はこんなに良い人間ではないのにな、という気持ちを抱えながら。

でも最近思うのです。

それってそんなにおかしいことか、と。

常に素を晒しながら社会に生きてる人なんて絶対いないと思います。

素を出せる人が少ないことなんて当たり前じゃないですか。

何人も何人も家族や親友がいるはずがないんですから。

自分じゃない自分…社会人の面を被って生きることってすごく普通のことに思えてきます。

面の着脱が躊躇いなくできるのが大人なのかな、と思ったりもします。

 

本当の自分をみてほしい!理解者が多ければ多いほどいい!自分をもう殺さない!

ディズニープリンセスかな?

ディズニーワールドでは素敵に解決される問題ですが、そんなのはやっぱり夢であって。

結局、素の自分でいても問題ない環境、人間関係を大事にしながら身の丈にあった生活をするしかない。

でも、それが一番ではないでしょうか。

……う〜〜〜ん、まとまりが悪い!終わります!

ブリキの人形

突然ですが、心が一番ざわつくときってどういう状況ですか?

ざわつく、といってもいろいろあると思いますが…

自分が一番ざわつくのは人間関係に問題があったときです。

友達と喧嘩してすぐに仲直りできなかったり、告白してフラれたり、あるいは別れを切り出したり。

前回の記事でも書いたように、このブログは心の整理のために活用しています。

心の整理が必要なそのとき、心がざわついているんです。

つまり今、人間関係に問題があるわけですが…

人に心を揺さぶられたからこそ、自分について考える。そして揺れを鎮める。

不安で不安で仕方がなくて、自分を見失いたくなくて、必死になって書いている場合が多いです。

 

さて、今回はその"問題"について少し書こうと思います。

現実に起きたことをそのまま記事にすることはあまりしてきていないのですが、逆にいえばそれだけ自分には大きなことで苦しめている出来事となります。

 

 

 

えー、以上が11月初めに下書きに残したままにしていた未完の記事になります。

"問題"の部分が長すぎて書くことに躊躇していたらいつのまにかどうでもよくなってしまいました。

書かずとも心の整理つくんかい!と自分でも思いますが……事の発端が6,7月頃になるので、時間が解決したというかなんというか。

すごくすごくすごく簡単にまとめます。

 

ある男女の成就を応援していたらいつのまにか女の方を好きになっていたけれど時既に遅く。自分の気持ちだけ伝えて身を引こうとしたけれどそれを許してくれない状況が多発。感情の整理が追いつかないうちに二人は1年の留学に出たけれどもはや素直に応援できない。

 

こういった流れです。

これ以上詳しく書くつもりは今さらありません。

たった三文で終わってますが、本当にいろいろ、どうしようもないことがありすぎて、とても全て書く気になれなかったんです。

物理的な距離ができたことで日常的に考えなくてよくなったのが気に病まなくなった理由だと思います。

むしろ、いなくなってくれて助かった。今も日本に彼らがいたら、きっと病んでますね、間違いなく。

あえて病的なことを書いておくとすれば。

自分は無理に変わらなくていいと思うようになったけれど、自分の好きな人や出来事が変わっていくことが少し辛い。

しかし一方で、自分の好きなものに変わってほしくないというのは、ただのわがままなのかなとも思えてしまって。

変わらないものなんて世にはないとも言いますが。

それなら、変わらない自分が置いていかれるのも当たり前なわけで。

じゃあやっぱり、変わっていくしかないのかなと思ったり。

あれ?無限ループって怖くね?

 

何もかもを疑ってみた結果、コギトエルゴスム…我思う故に我あり、なーんて言葉を残したおじさんがいますが。

変わっていく、変えられていく自分は、本当に自分なんですかね…

うーん、書いてて意味が分からない!w

よし、それじゃあ、今回はこの辺で。

 

石橋を叩いて

このブログの記事、1つ仕上げるのにどれくらいの時間がかかると思いますか?

多分、40分くらいはかかっていると思います。

今、この記事を書こうかな〜と思っているのが3:20(!?)なので、終わりの時間も気にしてみることにしますね。

 

以前どこかの記事で書いたんですが、このブログを更新するときは何かしら自分の心の整理をしたいときがほとんどです。

その整理をし終えるのに結構な時間がかかるし、それを読みやすい文に仕上げるのも実は一苦労で。

後から見返してみるとそんなに長い記事じゃないのにあれだけ時間をかけたのか?と困惑することがたまにあります。

どうも自分の意見を即時的に言葉にするのが苦手な節があって、それも影響しているのかなと思います。

例えば。

あまり親しくない人との電話、キツいです。

表情は読み取れないし、身振りで伝えることができないので。

問題が起きたときのグループLINEでのトーク、これも厳しい。

ポンポンポンポン誰かの吹き出しが出てきてすごく戸惑います。いや俺はまだこの話題について考えてるんだけどな、と思いながらバックスペースを押したことが何度もあります。

自分の言葉、意見、発言に自信がない、だからこそ時間をかけて考えて言葉を練る。うまい言い回しを探す。

1つの記事を書くのに時間がかかる理由はここにあります。

 

さて、冒頭の挨拶代わりに、と書いていたのが思いの外長くなりましたが、書いているうちに"本筋"を見失いかけました。

いつも導入には苦戦してしまいます。

 

このブログはブログ名から乖離して、アクエリという人間の底を扱う記事が多いです。

これまでに一番多く書いたのが「自己評価の低さ」になるでしょうか。

自己評価が低いから卑屈になって、自分なんて…と考えてしまうと何度も書いた気がします。

でも、驚いたことに、最近はそう感じることが前より減ってきたんです。

いつからか自然にこう思うようになりました。

いや、仕方なくない?と。

もうこういう人間なんだからそんな悩んだってしょうがない、って。

こう書いていると、卑屈を極めた挙げ句ついに諦めてしまったのかと思い始めました…が、

でもやっぱり、無駄なんですよ、結局。

自分はどうしようもないやつだとか思っていたところで、どうしようも"ある"やつになるはずもなく。

自己評価低い人が自己評価高い人になるって正直無理じゃないですか。

何で生きてるんだろう?とか、そういうのと同じ括りだと思うんですよ、この手の悩みっていうのは。

だから、諦める、というよりは認めた、と表すのが正しいでしょうか。

 

ですが、自分自身を認めて、肯定したところで、自分は自分が嫌いです。

そういう人間だというのは分かったけれど、良しとはしたくないのです。矛盾してますかね、これ。

でもゆくゆくは、好きにはなれなくても嫌いじゃない、くらいになれたらいいなと思うアクエリでした。

 

なんか、今回は完成度低い。書きたいことがはっきりしないのに衝動的に書き始めるものじゃないですねぇ… 3:54