マージナルマン
このブログ、とんでもないことに中学生の頃からやってるんです。
当時からここを覗いている(覗いたことがある)人とまだ関わりがあることもとんでもないぞ、と書いておきます。
垢を変えたり消したりで縁が切れた人もいますが、いったい何年の仲にこれからなるんでしょうかね、本当に。
このブログは中学→高校→大学の流れのなかで二度更新が大きく止まるんですが、環境が変わるとまた更新されていきます。
自分で言うのもなんですが、やはり歳を取る度に大人びた文と思考をするようになったな、と思います笑
大学に入った2017年からは年に5〜6回のペースになりました。
ただ2020年は前回の時点で1回目!ここまできたら今年はあと4回は更新したいところですが……自信無いです。
なので!今回は珍しくあまり日を空けずに頑張って更新してみます。
以前どこかの記事で書いたのですが(便利ワード)、自分が書いた記事を見返すの、結構好きなんです。
アルバムの写真をみる感覚とでも言えば分かりやすいでしょうか。
ああ、このときはこういうことがあったからこんな気持ちだったなぁ……と感傷に浸るわけです。
正直書くことがないこともあり、直近の記事の振り返りでもしましょうか。
「疾風」という記事で同じことをしているので、それ以降の記事を対象にします。
「雨が降ったら」
自分は人見知りとはいうけれど、その実ただ内面を知られたくないだけ、という話でした。
社会で生きていくうえで、面を使い分けることなど普通のことであり、本当の自分を知る人は少なくて当然だと最後に考えています。
面…キャラと言い換えてもいいと思います。
対初対面のキャラ、対友達のキャラ、対目上のキャラ……猫を被るともいいますが、やっぱり多くの人が普通にやることですよね。
ただ…どれが本当の自分なのか分からなくなるのはまずい。
そんな状況をアイデンティティ拡散とエリクソンというおじさんが定義づけています。
興味のある方は調べてみても良いと思います。
「ブリキの人形」
心がざわつくときは人間関係に問題があるときであり、心の整理のためにこのブログを使うことがある、と。
不思議なもので、ここで重荷となっていた問題は今となってはすごくどうでもいいものになりました。
なんというか…やっぱり、自分の好きなものには変わってほしくないと今でも思います。
それが悪い方向ならなおさら。
この良い、悪いも結局は自分のなかの基準ではありますが……自分に合わないものは合わない。割りきりました。
人間の好き、嫌い、といった感情はすごく激しく大きい一方、移ろいやすいものですねぇ……
「石橋をたたいて」
"自己評価が低い自分"を無理に変える必要は無い、いや今さら変わらないと考えています。
自分の負の面を認めて、嫌いじゃないと思えるようになりたいと綴って記事は終わります。
石橋はたたかなくてもいいし、渡らなくてもいい。
このタイトルはそういう気持ちでつけました。
珍しくプラス思考というか、この記事からは少しの希望すらみえてきます。
コペルニクス的転回、はさすがに言い過ぎですが、随分納得のいく結論が出せています。
「精神的に向上心のない者は」
馬鹿の話をしています。
この記事があったからこそ、上記の結論に至ったと考えます。
自分は自分が嫌いだけれど、そんな自分に付き合ってくれる人まで否定しちゃあダメだ、と。
素晴らしい友人と関わり続ける以上、その友人にも大事にされたい。
そのためには確立した自己を持つ人間であらねばならない。
アクエリズム(??)が極まり始めた良い記事だと思います。
「優しくなりたい」
他人の幸せで十分だと考えていた自分が、本当にそれでいいのかと疑問を抱き始めました。
自分もできることなら幸せを追究したいと書かれています。
この記事、今にして思えば「ブリキの人形」の出来事が始まった頃に書かれているので、まぁ……そういうことなんだと思います。
理由はよく分からない、とありますがそんなこと無かったです。
当時はまだ自分自身の気持ちが揺れていて、そんなわけないだろ!という抵抗心から間違いなくきています。
あまりにも、気づくのが遅かった。もっと早くに行動していれば、何か変わっていたんでしょうか。
この手の話のたらればほど虚しいものはありません。
「Del」
ざっくり、楽しくなかったはずの中学時代は実は案外楽しかったのにも関わらず忘れていたという話です。
中学のときに友達なんていなかった、と思っていましたが…いたんですねぇ…
向こうも自分のことを覚えていてくれて、当時好きだった漫画の話だとか、高校の話だとか、いろんな話ができたんです。
それなのに、会うまでそんな人たちがいることを忘れていました。
記憶力には自信があっただけに、やはり意外というか、驚きでした。
でも結局、この日以来彼らとは会ってもないし連絡もしてません。
このまま、また埃を被っていくんでしょうか。
今いる友人の記憶もそのうち薄れていくんでしょうか。
それはちょっぴり…いや、かなり寂しいですねぇ……
…自分のこと、否定しすぎじゃない?
と、読み返してみてすごく思いました。
少しでもこう思えるようになったということは、"嫌いじゃない自分"に近づいているのだと信じたいです。
さて。
このブログ、アプリ版で遡れるのが2016年くらいまでなんです。
それより前の記事が残っていることは薄々分かってはいましたが、確認するのが怖くてできておらず、この機会に確認してみました。
……死ねって思ったのでほとんどをデータの海に沈めてきました。
甘かった。どうして早く確認しなかったのか。
まさか2011年に開設して、ほぼ毎日更新する月もあり、個人情報は放出するわ、クソみたいなアニメ感想を投下するわ、もう最悪でした。
でもまぁ…アクエリズムの片鱗を感じさせる記事はせめてもの情けで残しました。
ただ、二度と確認はしないので、これを読んだあなたも確認には向かわないでください(圧力)
振り返り記事はどうしても長くなりますね。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
それではまた、次回の更新で。